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2015.03.14

いってきました!復興応援塾☆(2月27日・南三陸ホテル観洋)

こんにちは!学生スタッフの済渡です!
2月27日、南三陸町ホテル観洋で復興応援塾が開かれました。
語り部は志津川高校2年の佐藤美南ちゃん。創価大学の方々は美南ちゃんの話を真剣にメモをとりながら聞いていました。

復興応援塾は全員の自己紹介から始まりました。

次に、美南ちゃんの講演。


震災当時のこと、家族のこと、地元の大切さ、様々なことを語ってくれました。

私が心に残ったのは、震災後、
美南ちゃんが地元を離れたときに気付いた地元の良さの話、
そして、家族を亡くしてしまった友人への接し方の話 でした。

美南ちゃんが震災に遭ったのは中学1年生の時でした。

家の一部は高台にあったため、震災当時、そこを避難場所として使用できたそうです。家は自営業を営んでいましたが、その被害から南三陸町での営業は困難になり、一関に一時引っ越したそうです。

「一関は、カラオケなど遊ぶところがたくさんあって、志津川ではできない、中学生らしい遊びができて楽しかった。でも、地元に帰りたいと思いました」


なぜ、中学生らしい遊びができる一関よりも、南三陸町志津川の方に帰りたいと思ったのか。
それは、人工的な遊びはできなくても、南三陸町にある自然で遊べるし、自分はそれが、カラオケよりもずっと楽しいということが分かったからだ、と美南ちゃんは言いました。
「夏には学校帰りに海に飛び込んだり、これが日常だったけど、地元を離れてみてこういうことが意外と楽しかったんだと分かって地元の良さが感じられた」

そして美南ちゃんは嬉しそうに、震災前の南三陸町志津川のことを続けて語ってくれました。
美南ちゃんが地元を離れてみて思った、南三陸町の良さ。それは自然もですが、とりわけ「人の温かさ」だそうです。
学校帰り、知らないおばあちゃんも「おかえり」といってくれる。
道を譲ったら必ずお礼をいう。
家族のような温かさがあったと美南ちゃんは言いました。

私も以前南三陸町に住んでいたことがありました。なので、美南ちゃんの地元の話は共感できることがたくさん。昔は、道行く人に挨拶していた記憶が私にもありました。笑

美南ちゃんは中学3年生の時に南三陸町志津川に帰りました。

そして、志津川中学校に戻る際に、家族を亡くしてしまった友人へ自分はどのように接すればいいのか、他の人はその友人にどのように接しているのか、と考えたそうです。
しかし、友人たちは震災後も、震災前と変わらない接し方をしていました。何もなかったかのような自然な笑顔も浮かべていたそうです。

「大変だったね」などと声をかけると、変に同情されているようで、言われた側はきっと嫌な気持ちになるはず。それなら、今まで通りの接し方をしようと、友人たちで話しあい決めたそうです。

この話を聞いて、はっとしました。私たちは、ボランティアを通して、被災地に住む方々のお話を聞く機会があります。震災当時のお話を聞かせてもらっているとき、嫌な気持ちにさせていなかったかな、とふと思ってしまいました。これからは気をつけていきたいです!

そして、創価大学の学生方の討論&質問。

1人1人メモに取ったことを真剣に話し合っています。

真剣な表情です。

美南ちゃんへの質問。この方は美南ちゃんの夢である教師について、どんな教師になりたいかなどを質問していました。
今度受験生になる美南ちゃんへのエールも、もちろん忘れません!

他にも、自分たちが独自に行っているアンケートを聞いてみたり、枠にとらわれない質問も積極的にしてました。滞りない質疑応答。流石です。

最後に記念撮影。
創価大学の学生さん、佐藤美南ちゃんお疲れ様でした!

今回の復興応援塾は初めての参加でしたが、新しい考えの発見がありとても勉強になりました。
美南ちゃん、語り部ありがとうございました!これからも語り部としての活動、そして勉強、頑張ってください!

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